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2008年7月 5日 (土)

原信夫とシャープスアンドフラッツが解散へ

Holivern1 原信夫とシャープスアンドフラッツが解散するという記事を友人のブログで知った。昭和40年代頃、戦後のビッグバンドの全盛期を代表するバンドだった。当時活躍してたビッグバンドは他に、宮間利之とニューハード、森寿男とブルーコーツなどがあり、渋谷のオスカー、自由が丘の5スポットなどのライブハウスでも結構演奏していた。学生時代よく聴きに行ったものだったが、シャープだけはライブハウスでは演奏はしていなかったように思う。上下白のユニフォームにステージバンドとしての矜持を表し、どことなく別格の雰囲気を漂わせていた。

※画像は、オリバーネルソンとの競演アルバムのジャケット

他のバンマスは現役のプレーヤーを降りて指揮に徹していたなかで、原信夫さんだけは、最後までバンマスでありながら4番テナーサックス奏者としてプレイを続けておられる。一人だけ濃いブルーのスーツを着て、片方の肩に掛けるストラップが実に粋で、遠目にもよく目立ったものだった。当時のシャープのドラマーは中村吉夫さん。個人的には全く存じ上げないが、ミュージシャンというよりは昔気質のちょっぴり”やくざ”なバンドマンという雰囲気を漂わせていた。ピンクシャンペーンのグレッチのドラムス、サイドシンバル二枚をほぼ水平に、典型的なビッグバンドスタイルのセッティングだったのを覚えている。いかにもビッグバンドというオーソドックスで堅実なドラミングを聴かせていた。

シャープは、色彩感豊かで実に重厚なサウンドを誇っていた。また、時代を先取りするのも上手かった。音楽的には決して面白くはなかったが一時流行ったエレクトリックジャズにも挑戦し、スティーブマーカスの曲などを電気的にオクターブ下の音を出させる装置などを使ってコンサートで演奏していたのを思いだす。他にもオリバーネルソンにもオリジナルアレンジを頼んだり、エルビン、フランクフォスターの競演LPもリリースされているなど、実に意欲に富んだ活動を続けていた。

前記のバンドが、日本の三大ビッグバンドといわれたが、いずれも強い個性を誇っていた。ブルーコーツは、トランペットに名手北里典彦氏(いまだに現役でプレーされているとのこと!80才!)を擁しベーシー・エリントンものをオーソドックスに演奏していた。ニューハードは、チャーリーミンガスの作品に挑戦するなどモダンテイスト溢れる演奏をしていた。1969年だったと思う、もう無くなってしまった赤坂の日本コロンビアのスタジオでこの”Perspective”という作品のレコーディングを見学させてもらったのも懐かしい思い出だ。ドラマーの田畑貞一さんにはずいぶん良くしていただいた。現在もポイントアフターというバンドを率い現役プレーヤとして元気にご活躍とのご様子で、嬉しい限りだ。

以上のバンドのうち宮間利之さんも引退(バンドは継続しているのか?)、残るはブルーコーツのみ、これも時間の問題なのだろうか。レギュラーバンドを維持するのが困難な時代、後を継いでいくことが困難なことはよく判るが、ビッグバンドファンとしては名門バンドが無くなっていくのは何とも寂しい限りである。

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コメント

私は20年前にフラッツの面々が高松のジャズフェスに来てその打ち上げのお店に行っていました。
セッションとなりましてジャズバンドも組んだこともない私でしたが酔った勢いで生まれて初めてのセッションがこの方々とでした。今思っても冷汗が出ます。
「パーディド」を延々とやりました。特にASの大山日出男さんには圧倒されました。
私のソロは寸足らずや長尺ソロがありましたが皆さんうまく合わせてくれたようです。
ホント懐かしい思い出です。
何か残念ですね。

投稿: kihachiro | 2008年7月 8日 (火) 20時44分

それは貴重な体験でしたね。
関西では、アロージャズオーケストラを率いてこられた北野タダオさんも引退されるしホントに残念ですね

私の自慢は、生ベーシー、ソニーペイン、そしてエリントン、ジョニーホッジスさらにはバディリッチなどなどを見たということです
いまだにハッキリ彼らのプレイを覚えています。まぁ、私の中では永遠に生きています

投稿: sweetie | 2008年7月 9日 (水) 23時03分

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